独り言

 以下は、私の全く個人的な意見ですが、これを読まれて、ご意見等ございましたら是非メールください。

1.「Whyの精神」について

2.何故、勉強するのか

3.独創性について

4.創造性について

5.EngineeringとScience (工学と科学)

6.米国の大学院とポスドク制度


1.「Whyの精神」について

 私が、U.C. Berkeleyに留学して最初に師事したのは、Pask先生(知る人ぞ知る大変高名な先生)でした。Pask先生は、とにかく、'Why is that?' と尋ねるのがお好きで、その度に私は窮地に陥ったのでした。そうです。Whyを繰り返し、とことんまで突き詰めて行くと、「根源的な問題」(要するに誰も答えられない問題)にぶつかるのです。これこそ、研究する価値のあることであり、「研究テーマ」として取り上げるべきものだと思います。

 皆、子供の時は、何故を繰り返して大人を困らせたものですが、何時の間に問うことを止めてしまうのでしょう。せめて、これから研究で身を立てていこうと志す人は、この「Whyの精神」を忘れないで下さい。また、世の中全然面白いことが無いやと思っている人も、身の回りのことに何故と問い掛けてみて下さい。まだまだ、世の中不思議なことに満ち溢れているのですよ。

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2.何故、勉強するのか

 さて、「Whyの精神」でとことんまで突き詰めてゆくと、自分が知らないことが沢山あることが判ってくると申し上げましたが、自分が知らないだけで案外常識だったりします。また、これこそは根源的な問題だと自分では思っていても、昔の研究者が既に結論を出してしまっていることが案外多いものです。だからこそ、勉強が必要なのです。このように能動的に行う勉強は、存外楽しいものです。

 たとえば、以下に示すような身の回りで起こる現象に関する一見幼稚な疑問に対して、どのくらい答えられますか。

 

1) 何故、蛍光灯は光るの?

 

2) 何故、物には色があるの?

 

3) 何故、ガラスは光を良く通すのに、金属は光を反射するの?

 

4) 何故、ガラスは電気を通さないのに、金属は電気を良く通すの?

 

5) 何故、空は青いの? 夕焼けは赤いの?

 

6) 何故、物を熱すると光るの?

 如何ですか。こうした身の回りに起こる現象でも、何故と問われると答えられないでしょう。さあ、勉強したくなってきました。

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3.独創性について

 「これは世界で私しかやっていない研究だから、私は独創的な研究者だ」と思って、重箱の隅をつつくようなささいなことを研究している研究者がかなりいらっしゃるように見受けられます。しかしながら、それは研究する価値のないことであるから、誰もやらないだけかもしれません。反対に、皆が価値がないと思っていて誰もやらないけれども、実は大変価値のある研究もあります。最近脚光を浴びているの窒化ガリウムの研究など、その典型でした。東北大の西澤教授の研究も、大変長い間、世の中から無視されてきました。価値があるかないかの判断基準は、簡単です。Whyを繰り返し、誰も答えられない問題は、学問的に研究する価値のあることなのです。

 一つの分野で、上記で述べたような「根源的な問題」は、そう多くあるものではありません。従って、必然的に世界レベルでの研究競争になります。日本では、誰々がその研究をやっているから私は別のことをやるという研究者が多いようですが、大事なのは自分が何に最も興味があるかです。自分に興味のないことについて、良い研究などできるはずがありません。研究競争は、大いに結構です。競争の多い研究分野は、人的交流も多く、情報が豊富で必然的に深い内容の研究になりますし、自分は負けるものかという気概は、研究の推進力となるでしょう。

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4.創造性について

 新発明や新発見を成した研究者(例えば、ノーベル賞受賞者)は、大変「創造性」があると見なされるでしょう。しかしながら、それ等は単に幸運によって、彼等にもたらされただけかもしれません(もちろん、そうではない例も沢山あるでしょうが)。世の中には、ノーベル賞をもらっていなくても、大変「創造性」に富んだ研究者が山ほどいます。

 Dr. P. E. D. Morganは、「科学における創造性は、critical experimentを計画できるかどうかで判断できる」と、言いました。ご存知の方も多いと思いますが、科学の分野でcriticalという場合、「臨界」という意味合いとなります。すなわち、この実験をすれば、その問題は解決できるというのが、critical experimentです。もし、観察結果が予想通りであれば、これに越したことはありませんが、もっと面白いのは、予想を完全に裏切る場合です。この意外な発見をPeterは、serendipityと呼んでおります。予想を完全に裏切る結果が出てきた時に、真の発見があるというわけです。大事なのは、この意外な発見を見逃さない目を持っているかどうかですが、これは研究者のセンスと普段からの勉強がものを言います。そういった意味で、昨年ノーベル賞を取った白川教授は、やはり偉かったのです(ご本人は大変謙遜なさっておられますが)。同じくノーベル賞をとった利根川教授の行ったcritical experimentについては、教授と立花隆氏の対談「精神と物質」に詳しく解説してありますので、興味のある方は是非読んでみて下さい。

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5.EngineeringとScience (工学と科学)

 工学と科学、どちらが重要なのでしょう。いや、これは愚問でした。どちらも世の中の進歩には欠かせないものですし、科学の進歩が工学の発展を、また、工学の進歩が科学の発展を促してきたのが、20世紀の歩みでした。しかしながら、日本と欧米では、どちらにより重きを置いているかに随分差があるように感じます。日本では、基礎科学をやっていると、何だ役にも立たないことをやってと思われがちです。ところが、欧米では、遥かに基礎科学を大事にしております。結局、科学の基礎なくしては、工学のブレークスルーは有り得ないのです。日本は、お蔭様でGNP世界第二位の大国になり、猛烈な貿易黒字を出しておりますので、それなりに世界に貢献しなくてはなりません。恐らく、これからの日本ができ得る最大の貢献は、基礎科学に大きな予算をつけることでしょう。米国が何故あれほど繁栄を享受しているかといいますと、ITももちろんですが、それ以上に、世界中から優れた人材を吸い取っている(言い方は悪いが)からです。これは、米国がそれらの人々にお金をつぎこむ懐の深さがあるためです。21世紀は、日本がその役割を果たさせてもらう番でしょう。

 ところで、日本が基礎科学に全く力を入れていないとは、言っておりません。ハワイのすばる望遠鏡、野辺山の電波望遠鏡、神岡のカミオカンデ等々は、世界で最も優れた施設です。日本政府は、役にも立たない公共事業や無目的なODAなどに天文学的な額の税金を使うのを止め、こういったものにもっとお金をかけるべきでしょう。そうしないと、いつまでも基礎ただ乗りと陰口をたたかれます。こういった世界一の研究設備を持っていれば、自然と優れた研究者は集まってくるものです。そうして、来てくれた海外の研究者に十分な給料を支払うのです。そうすることによって初めて、日本の世界における地位が向上すると思いませんか。最後に大きな利益が日本に戻ってくることは、米国の例を見れば疑う余地がありません。

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6.米国の大学院とポスドク制度

 折角米国のことがでてきたので、米国の大学事情について、もう少し詳しくご報告させていただきます。まず、米国の大学院(Graduate school)は、基本的にPh.D.を目指す、言い方を換えれば、研究者を育成する場所であるという基本理念があるということです。逆に、大学の4年間では、日本でいう卒研はやりません。その代わりに、基礎、特に理系では、数学、物理、化学を徹底的に叩き込みます。あまりにもハードなので、卒論などやっている暇がないのです。米国の大学は、基本的に無試験で誰でも入れますが、良く知られているように、卒業するのは至難のわざです。米国の大学生は、日本と違い、親から仕送りを貰うことを極めて恥じており、皆何らかの奨学金を貰っていますが、成績が悪いと奨学金がカットされます。必然的に大学を辞めざるを得なくなるわけで、皆それはもう必死に勉強します。この事情は、大学院に進んでも変わりません。米国の大学の成績はGPA制度ですが、GPAが3.5を下回ると(すなわち、AよりBが多くなると)、奨学金がカットされます。これは、大きな勉強への駆動力となっております。どこかの国とは大違いです。そんなわけで、米国の学生は、大学に入った時点では日本の学生に比べ遥かに学力が見劣りしますが、卒業する時点では遥かに質の高い学生になっております。大学院に進みますと、こんどはPreliminary Examinationと呼ばれる基礎知識を試す口頭試問が待っており、ここでもさらに篩分けが進みます。大学院2年程で、恐怖のQualifying Examinationがあり、ここで失敗するとそれ以上Ph.D.を取ることを止めさせられます(つまり、M.S.で卒業しろということ)。大学院の始めの2年間は、講義もみっちりあり、さらに研究もしなければならず、極めてハードです。

 米国の学問を支える最も大きな制度は、恐らくポスドク(ポストドクター)制度でしょう。ほとんどの学生は、Ph.D.取得後直ぐに就職せず、他大学や研究機関へ武者修行に行き自分の研究領域を広げたり、スキルを磨いたりします。日本の大学で言えば助手にあたると思いますが、ちょっと違うのは雑用がほとんど無く、すべての時間を研究に費やすことが可能であるということです。しかも、かなり良い給料が出ます。ポスドクで論文数を稼ぎ、自分に付加価値をつけてから、売るわけです。日本の助手は、ほぼパーマネントである代わり、ポストも教授一人につき、1つか2つと限られていますが、米国のポスドクは、教授に金がある限り何人でも雇うことができるので、極めてポストが多いのです。実際には、1年〜2年契約というのが多いので、役に立たないと判ったら即放り出しますが、ポストが多いので、放り出されてもあまり困りません。そんなわけで、中国、台湾やインドから、本当に多くの優秀な人材が学生やポスドクとして米国で頑張り、米国の学問レベルを押し上げています。日本にもこのような流動性が是非必要でしょう。

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